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さよなら、啓子おばちゃん [冠婚葬祭]

そう言えば、長崎でうまい酒と魚を堪能しようとしていた頃に
鹿児島の伯母が亡くなったという知らせが入りました。

同じ九州の空の下にいながら、最後のお別れをしたくても
鹿児島へ向かうことは適いませんでしたが・・・。
ならばせめて、大好きだった伯母―――啓子おばちゃんとの
思い出をつぶやきながら、心の中でお見送りしてはどうだろう?

そんな思いを込めて、夜じゅう流し続けたツイートの数々を
今一度ブログで書き起こし、天国の啓子おばちゃんに贈ります。


てなわけで気持ちよく飲んだくれてるとお思いでしょうが…実はついさっき、大好きだった鹿児島の伯母の訃報が入りました。
本当は明朝にでも鹿児島に駆けつけたい。でも残念ながら、私には何もしてあげられないのです。
ならば、せめて今宵は伯母との思い出をここで語りたいのですが…いいかな?
posted at 2011/04/16 23:35:15

啓子おばちゃんはうちのオカンのお姉さんで、5人姉弟の一番上。姉弟の中で唯一、独身を貫いた人です。 いつもニコニコしてて控えめで、我儘じいちゃん(父)と病弱ばあちゃん(母)のお世話を一手に引き受けている、とても忍耐強い人でもありました。
posted at 2011/04/16 23:51:46

…寝落ちしちゃったw めげずに続き
子どもの頃の夏休み、福岡から5時間かけて鹿児島へ遊びに行ってたんだけど、啓子おばちゃんはいつもニコニコ迎えてくれました。到着した時に必ず出してくれる、ちょっと濃いめのカルピスの味を今でも憶えています。
posted at 2011/04/17 03:14:25

今じゃ考えられないけど、その頃の私は外で遊ぶの大嫌いで、家の中でお絵描きばっかりしてる子でした。そんな私のために、啓子おばちゃんは裏が白いチラシをいーっぱい取っといてくれて、私が好きなだけお絵描きできるようにしてくれてたんですよ(・∀・)
posted at 2011/04/17 03:21:27

描いた絵はいつも褒めてくれるし、話し相手にもなってくれるんで、私は啓子おばちゃんのことが大好きでした。 お料理も上手でねー、エプロンして厨房に立っている姿をよく憶えているよ。お絵描きに飽きると、啓子おばちゃんのそばへ行ってちょっかい出してましたw
posted at 2011/04/17 03:28:50

40代の時にばあちゃんが亡くなり、50代の時にじいちゃんが亡くなってからは、おそらく広い家に一人で住んでたんだと思う…我が家が関東に定住するようになってからはあまり鹿児島へ行かなくなったので、詳細は分からないけど。 認知症になってしまったじいちゃんの世話、大変だったろうなぁ。
posted at 2011/04/17 03:37:38

やがて家が取り壊され、叔父さんが建てたマンションに住むようになったそうだけど、きっと一人で寂しかったんじゃないかなぁ。
啓子おばちゃんに最後に会ったのはいつだったか、はっきりとは思い出せない。けど、啓子おばちゃんもじいちゃんと同じ認知症になってしまったと聞かされた時はやっぱショックだったよ。
posted at 2011/04/17 03:44:41

啓子おばちゃんはやがて、養護施設に入ったと聞いた。あれほど外で遊ばなかった私はいつしか日本全国を飛び回る大人になり、鹿児島にもちょいちょい遊びに行くようになったんだけど、啓子おばちゃんに会いたいという願いは叶わなかった。
posted at 2011/04/17 03:56:58

何年か前に会いに行ったオカンが多くを語らなかったところを見ると、きっと症状が相当進んでいて、行ったところで私の顔なんか憶えてもいなかったんだろうなと思う。と同時に、 「あ、もう長くはないかも」 と、うっすら覚悟を決めたりもしていたんですけどね。
posted at 2011/04/17 04:01:39

訃報を受けた場所が同じ九州というのも、何となく縁めいたものを感じます。 明日、鹿児島に顔出そうか?とオカンに聞いてみたけど、それは必要ないという。鹿児島にいる親族だけでひっそりと家族葬するんだそう。お香典も要らないと言われてしまった。 何もしてあげられない自分が歯がゆい。
posted at 2011/04/17 04:07:29

そんな私にオカンは言いました、 「姉さんの身体がこの世に存在する今晩のうちに、少しでいいから思い出してあげて」 と。 だからこうして、(途中寝落ちはしましたが)啓子おばちゃんとの思い出を振り返ってみました。長々とすんません、読んでいただきありがとうございますm(_ _)m
posted at 2011/04/17 04:11:43

啓子おばちゃんが、天国ではたくさんの人に囲まれ楽しく過ごせることを祈ります。私もいずれはそっちに行くからね、濃いめのカルピス作って、裏が白いチラシいっぱい用意して待っててね。
啓子おばちゃん、どうか安らかにお眠りください。 合掌
posted at 2011/04/17 04:16:38


※基本的にTwitter原文ママ、
 但し「伯母さん」→「啓子おばちゃん」に表記変更しました。


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うっしー寿ゴス [冠婚葬祭]

ussy_gos.jpg

前の職場の後輩くん、うっしーの披露宴にご招待いただいたのは
去年の秋頃のこと。
賑やかしにゴスペルでもいかが?と尋ねたところ、
ぜひお願いしますとのことだったので
うっしー寿ゴスプロジェクト発足と相成りました(・∀・)

そんじゃ何歌おうか?という問いに、うっしーの答え。

「いとしのエリーがやりたいんです」

・・・いや、それゴスペルじゃないし( ´・ω・`)

しかし、奥さまのお名前がエリさんというので
サプライズで喜ばせたい!といううっしーの熱意に応え、
本人がソロを歌うことを条件にお受けしたのです。

いとしのエリー、以前アカペラやった時の楽譜はあるんだけど
コーラスがマニアックでソロが埋もれちゃう、キーが女声用なので
結局譜面を起こしなおさなきゃいけない…などの理由で、
私が一からアレンジすることにしました。
あまり練習時間も取れないので、ごく簡単なアカペラだけどねー。
クリコンまでに楽譜と音源を作り、冬休みの宿題(笑)として
寿ゴスメンバーに自主練しといてもらいました(・∀・)

これと並行して、エリちゃん交えた打ち合わせ(という名の飲み会)を
開催したんだけど、もうねぇエリーの話が喉まで出かかって
すんごくヒヤヒヤしたわ~( ;´Д`)
せっかくのサプライズ、バラしちゃ台無しだもんね(笑)

年が明けてからは、カラオケボックスでエリー練を2回ほどやりました。
寿ゴスメンバーはみなさん大変モチベーションも高く、ビシッと
練習してきてくれたよ。さすがだね(´∀`)
うっしーは出だしの音がなかなか取れなくて、正直大丈夫かいな?って
感じだったけど(汗)、やればやるほど上達していくのが分かり
愛のチカラを感じたわぁ~(*´∀`*)

そんな感じであっと言う間に月日は流れ、
2月26日、いよいよ披露宴の日を迎えたのです!

  ◆◆◆

宴もたけなわな中、寿ゴス本番。あーどきどき。
曲目は定番中の定番、HallelujahJoyful Joyfulの2曲です。
・・・表向きはね(笑)
代表でスピーチさせてもらったんだけど、人前で喋るのは
ホント緊張するわ~~~
すぐ後に歌ったジョイフルソロの方は全然緊張しなかったのにね、
喋りはダメだねー私は( ;´Д`)

まぁ私の話はさておき、ここからが本当の見せ場!
サプライズ企画、いとしのエリーやります(・∀・)
2曲終わったと見せかけて、うっしーを呼び出すための小芝居を打ち
うっしーがジョインしたところでアカペラの態勢へ。
何事かと言わんばかりに、目を白黒する高砂の花嫁エリちゃん。
ふふふ、泣いていただきますよ~( ̄▽ ̄)

しばしの静寂の後、4声のハーモニーが奏でるイントロ。
そして、うっしーの第一声・・・おおっ!ばっちりイケてるじゃん!!
練習会では心もとなかったけど(笑)、本番は全然大丈夫だったよ♪

うっしーがエリーを熱唱してる間、花嫁エリちゃんは感動の涙。
会場のあちこちからも、すすり泣く声。
そしてラスト、うっしーの決めゼリフ
「エリ、愛してるよ!幸せにするからな!」
は、本当に本当に男前でした~~~[黒ハート]
いつもはポヤンとしたゆるキャラなんだけど、そのギャップに
お姉さんグッと来ちゃったわよ~(*´∀`*)
サポートのコーラスもすごく綺麗で、頼れるメンバーにお願いして
良かったと思ったよ。みんな、どうもありがとね~♪♪♪

寿ゴスそしてサプライズ企画、大成功!!

うっしーとエリちゃんの人柄が表れたあったかーい披露宴、
少しでもお役に立てたようで何よりです。
あと、うっしーのご両親にもいろいろお心遣いいただき感謝です!
まっすぐな青年というのは、こういう親御さんの元で育つんだろうなと
実感しました(・∀・)

私が異動して、うっしーとは仕事することもなくなっちゃったけど
これからはエリちゃんも一緒に、末長くお付き合いいただけると
嬉しいです。

うっしー&エリちゃん、ご結婚おめでとう!
今度また、私たちのゴスペル聴きに来てね~(´∀`)ノ



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こんなことって [冠婚葬祭]

一緒に異動してきた、職場のOさん。
この5月にお父様をご病気で亡くされたばかりなんだけど、
先週末、今度はお母様が亡くなったとの報が・・・。

長患いだったお父様の看病疲れからか、
お母様まで倒れてしまい、ずっと入院していたんだそうです。

本当にあるんだ、こんなことって。

わずか2ヶ月の間に立て続けに両親を亡くす、
私がOさんの立場だったら、とても受け止めきれないよ。

新しい職場で、ただでさえ神経すり減らしているというのに
Oさんの気苦労たるや、いかばかりのものだったでしょう。
本当に頭が下がります。
愚痴ばっか言ってる場合じゃないな、私。

Oさん、明後日には会社に来るらしいけど
どんな顔して会えばいいのか分からない。
あまりにお気の毒すぎて、言葉が見つかりません・・・。

Oさんのお父様とお母様のご冥福をお祈り申し上げます。 合掌


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祖母の一周忌法要 [冠婚葬祭]

祖母が亡くなってから、もうすぐ1年が経とうとしています。

一周忌法要で和尚さんの読経を聞きながら、いろんなことを思い出していました。
大腿骨骨折の手術を終えた日、病室のベッドの上で微笑んでいた最期の姿。
目覚ましのベルより早い朝一番の危篤の知らせ、そして間もない訃報
悔やんでも悔やみきれなかった青年館ゴス欠席
悲嘆、困惑、憔悴・・・重苦しい空気の中、それでも淡々と進みゆく葬儀

・・・本当に、1年って早いですね。
あの時励ましてくださった皆様に、改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。
祖母もきっと、天国で大好きな裁縫でもしながら私達を見守ってくれていることでしょう。


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喪中につき・・・ [冠婚葬祭]

5月にばーちゃんが亡くなったので、喪中ハガキを発送しました。
そろそろ、お手元に届いている方もいらっしゃるかと思います。

幸いなことに・・・と言うべきなのでしょう、なまみは物心ついてからこの歳になるまで、
喪中ハガキというものを出したことがありませんでした。
だから、どんなお作法があるのか全然知らなかったんです。でも最近はネットで調べれば
何でも分かるし、喪中ハガキを作成するのもコンビニのサイトで必要事項を入力するだけで
2~3日もすれば出来てきちゃう。
しかも、受け取りは最寄りのコンビニ。ホントに便利だねー。

だけど・・・私にとって年末年始最大のイベント、年賀状の作成ができないのはすごく残念。
ここ数年、なまみの年賀状は
干支の動物の実写版(photo by なまみ)
だったんですよねー。
ウマ年は市川の動物園、ヒツジ年は群馬の牧場、サル年は地獄谷の温泉猿スポット、
トリ年は上野動物園にロケに行ったんです。(はい、毎年会社休んでます)
そして今年のイヌ年は、京都旅行の時に出会ったカワイイ柴犬がモデルでした。

来年の干支・イノシシを撮るには、どこにロケに行けばいいのか悩むところなんですが
今年はそんな試行錯誤をする必要もないんだよねぇ・・・。
楽っちゃー楽なんだけど、つまんないな。面白い年賀状を作るためにどこへ行くか考えて、
実際に行ってバシバシ写真撮って、結局ギリギリで作って元旦に届かなくて・・・(^^;;
でもって、年明けたら
「出してない人から来ちゃったー」
「あの人に出したのに来なかったー」
なんて、たかがハガキ1枚に一喜一憂したりして(笑)
・・・それが、ここ数年の定番だったからな。
無味乾燥な喪中ハガキ、これで終わりだなんて。なんだか拍子抜け。

来年の同窓会は2月らしいし、正月の楽しみはもはや蟹と箱根駅伝ぐらいか・・・。
はぁぁ。つまらん。長い連休の過ごし方を思案しておかなければ。


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祖母の四十九日 [冠婚葬祭]

今日は祖母の四十九日法要で、日帰りで栃木に行ってきた。
元々は販売応援のために買った黒いスーツなんだけど、祖母の葬儀で着て
後輩くんのお通夜で着て、そして今日は祖母の四十九日で着て・・・。
なんだか、むしろこのために用意したんじゃないか?と思えるぐらい
必要以上に活躍している気がする。
黒いスーツってのは、あまり積極的に買うべきものではないってことだろうか。

法要は滞りなく終了し、その後お寺近くのお寿司屋さんで昼食。
ご馳走をたらふく食べました・・・せっかく痩せたのに、逆戻りしそうだ(^^;;
葬儀の時に比べるとだいぶ和やかムードになったけど、おば達はやっぱり元気がない。
父もすっかり疲れきっている様子だし。
私は余計なこと言うべきじゃないのかも知れないけど、みんな充分頑張ったんだから
そろそろゆっくり休養して、自分のために時間を使ってほしいな。

次に行くのは初盆の8月14日。今年は何かと、栃木に借り出されそうだ。
日程、危うく湘南オープンウォータースイミング(8月13日)とかぶるところだったよ・・・。
初盆の方をブッチして遠泳なんかやってちゃ、海底からばーちゃんに足引っ張られそう
だもんな(汗) ズレてよかったわぁ。

ばーちゃん、足引っ張ったりしないで、2.5K完泳できるよう見守っててください・・・。


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諸行無常の響きあり [冠婚葬祭]

「これが悪い夢ならいいのに・・・」
夕方、同期の友達と一緒に後輩くんの通夜に向かう。その足取りは重い。
斎場入口に大きく書かれた彼の名前を見ても、祭壇に飾られた遺影を見ても
心のどこかでは「嘘でしょ、どっきりか何かじゃないの?」と、信じられずにいる。

温かい彼の人柄を反映するがごとく、大勢の若者が後から後から弔問に訪れては
沈痛な面持ちをし、また涙している。
そう、これはどっきりじゃない。彼が亡くなったことは、紛れもない事実なのだ。

「ご対面をご希望の方はお越しください」
通夜が終わり、係の人のアナウンスがあった。
通夜の席でご対面って珍しいよね?私と友達は
「告別式のご対面とか出棺はちょっと重すぎるから、お通夜に出よっか・・・」
ということで今日来たので、終わったらすぐに帰ろうとしていたんだよね。
だけど、彼の親友が目に涙をいっぱい溜めて
「きれいな顔してますから、どうぞ会ってあげてください」
と言うので、意を決してご対面することにした。

あまりにも悲しすぎる現実を、受け止めざるを得ない瞬間だった。

先週まで元気に出社していたという彼の死を、いったい誰が想像し得ただろう。
それはきっと、本人だって想像できなかったに違いない。
私は販売応援で会社にいなかったから、最後に彼に会ったのは1ヶ月も前のことだ。
最後に交わした言葉は何だっけ・・・残念ながら、それすら思い出せない。

今日、お坊さんが読経の後で
「人生とは無常であることを、命がけで教えてくださったのです」
とおっしゃっていた。
確かにそうかも知れないけどさ・・・そんなこと、彼に教わりたくはなかったよ。
彼はこれからの人生を、意気揚々と渡り歩くべき人間だったのに・・・。
悔しいよね。

ところで。
彼はひとり暮らしの部屋で、夜中にネットを見たり本を読んだりしながら
眠るように亡くなった・・・と言われている。
(後になって発見されたので、詳細は誰にも分からないんだけど)
これって実は、決して他人事じゃなかったりするんだよね。特に私なんて、運動したり
飲みすぎたり残業したり夜更かししたり・・・その素質は大いにあるはずだから(汗)
病死に限らず、最近は電車に乗ってもエレベーターに乗っても死ぬかも知れないし、
突然殺されたりすることもあるかも知れない。
いつ死んでもおかしくない世の中。だから、やりたいことは後回しにしちゃいけないんだ。
日々、悔いなく生きなきゃね。

とりあえず、部屋は綺麗にしておかなきゃ・・・と思ったなまみでした。

後輩くんのご冥福をお祈り申し上げます。  合掌


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職場復帰したけれど [冠婚葬祭]

今日から職場復帰。
音楽ガンガン、声出しっぱなしの店頭から一変、
隣同士メールで会話しちゃうような静かなホームグラウンドに帰ってきた。

朝ゆっくり起きられる幸せ、
自分の意思で仕事を進められる幸せ、
仕事しながらスタバのコーヒーを飲める幸せ、
外に出て、あったかいランチを食べられる幸せ。
そして、気のおけない兄さんたちと心から笑いあえる幸せ。

平穏な日々が、ようやく戻ってきた・・・はずだった。

いくつもの小さな幸せを噛みしめながら帰途につく私を襲ったのは、
隣の課の後輩くんが一昨日亡くなった・・・という知らせ。
急性心不全、27歳。
一緒に仕事をしたこともある。しっかり者で素直で、感じの良い好青年。
あまりにも突然、そしてあまりにも早すぎる死。

今日彼を見かけなかったのは、
いつものように外出しているからだと思っていたのに。

・・・もう嫌だ。
どうしてこうも立て続けに、辛いことが起こるんだろう。
いつになったら、私は楽になれるんだろう。

まだ信じられない。でも、心が寒くてたまらない。
明日お通夜へ行くけど、この現実を受け止めることができるだろうか・・・。


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おばあちゃんへ [冠婚葬祭]

おばあちゃんとの突然のお別れ、まだ信じられません。
どうか嘘であってほしい・・・未だにそう思っています。

私たちは、小さい頃からおばあちゃんと離れて暮らしていましたが
夏休みにおばあちゃんの家へ遊びに行くのを、すごく楽しみにしていました。
いつも温かく、笑顔で迎えてくれましたね。
お裁縫もお料理もとても上手、
昔のこともよく憶えていて楽しい話を聞かせてくれる、
優しいおばあちゃんが大好きでした。

みんなで一緒に旅行もしましたね。
おばあちゃんが目を輝かせて、楽しそうにしていたことは
今でも忘れません。

93年という長い年月、幾多のご苦労もあったことでしょう。
どんな少女時代を送ったのですか?
お父さんたち3人の子どもを育てながら、何を思っていましたか?
私たち孫が生まれた日は、どんな日でしたか?
もっとたくさん、おばあちゃんの話を聞いておけばよかった。

私たちは、おばあちゃんの人生のほんの一部分しか知りませんが
こうしてたくさんの方にご会葬いただける、素晴らしい人生だったのでしょう。
立派に天寿を全うされたおばあちゃんを、心から誇りに思います。
これからも、私たちのことをずっと見守っていてください。

おばあちゃん、今までどうもありがとうございました。
そして、どうか安らかにお休みください。

 ◆◆◆

2006年5月15日、祖母との最後のお別れで妹と一緒に読んだ手紙です。
(基本的に原文ママ。実名削除など、一部変更あり)
たくさんの人に見送られながら、祖母は旅立って行きました。

きっと、青年館からの「神ともにいまして」も、祖母に届いていると思います。
みなさんありがとうございました。


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旅支度 [冠婚葬祭]

今日、祖母が女学生だった頃のアルバムを見ました。
初めはどれが祖母だか分かりませんでしたが、何枚か見ていくうちに
「これが祖母だ」
と確信しました。
丸顔でぽっちゃり、お転婆そうな女の子。どの写真でも友達に囲まれていて、
生き生きと青春を謳歌しているのがよく分かる・・・。

セピア色に古ぼけた写真は、おそらく70~80年前のものでしょう。
物心ついた時は既に「おばあちゃん」だった祖母の輝かしい少女時代を垣間見て、
93年間(※)という歴史の重さを感じずにはいられませんでした。

(※:実年齢は92歳ですが、来月93歳になるはずだったので1歳増しなんだとか)

丸顔ぽっちゃり少女の面影を僅かに残したまま、俗世での長い人生を終えて
白装束に着替え旅支度を済ませた祖母。
綺麗にお化粧してもらったその顔は、まるでお嫁入りのように初々しくて・・・。

明日、いよいよ旅立ちの時を迎えます。


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